山里あたりの道路には「スピードか死か」という立てカンバンというか交通標語を書いたものがよく立っていたが、最近ではめっきり見ることは減った。
この「スピードか死か」の妙な違和感といい、深夜一人で山道を走っていると、ふと出くわしてしまう不気味さといい、微妙にシュールな味が一部の人気を集め、ラジオ番組でも昔はよく 「スピードか死かって、結局どっち選んでも死ぬんじゃね~の!?」 などとネタになっていた記憶がある。
そう、正しく説明的に書くならば 「減速で安全運転か。スピードオーバーで死か」 のような感じが適当かもしれないが、これだとインパクトが全然無いしつまらない。
結局、「スピードか死か」の妙な文言は、見る者に与えるインパクトという点でこれ以上無いというほど完成度が高く成功している。
長い前フリ失礼いたしました。さて、本作「首都高速トライアル」シリーズは走り屋を主人公とした映画作品である。私は車にはさほど興味が無いのだが、バブル時代に作られただけあっていい味が出ている。
何より、シリーズの多くに出演している土屋佳市の「俺と勝負したいならサーキット来いや」というクサイ台詞が面白いのでひきつけられる。
自分も元はガンガン峠を攻めてたくせに、そういうこと言うイカしたドリキン土屋氏の名演技で首都高速トライアルシリーズのファンになり全部見た。結局、このシリーズは全5作が発売されている。
なお後述するが、6作目については国内販売が中止された。
シリーズを通して第一作目の異質さは際立っている。
この作品シリーズ、劇中で主人公たちが当然ながらやってることは道交法違反の公道レースだ。だから当然、彼ら走り屋の共通の「敵」といえば取り締まり当局であるのだが、警察が劇中に出てくるのは第一作目だけで、他には出てこない。
でも描写がイロイロと変。
そういえば、同じ走り屋モノの「頭文字D」も同じく劇中で「警察」や「パトカー」という存在は完全にオミットされていた。釣りキチ三平では「三平が学校に通うシーン」が一切カットされて、不思議な異世界のように感じられたが、首都高にしても頭文字にしても湾岸にしても、現実の車を描く以上、ある程度現実に即した組織というか、取り締まり当局の存在もないと少しフシギな異世界のように感じる。
さて、最初は首都高がバトルの舞台だったのだが、シリーズが進むにつれて次第にサーキットでの戦いにシフトしていく。とはいえ、6作目については……。
そしてシリーズ3。公道レースの末の事故で人を死なせスランプに陥った主人公が、冬の長野の峠の頂上でGTRを走らせるところに土屋が登場(笑)
二言三言、絵にかいたような助言を土屋にもらった主人公が車に乗り込もうとしたところ、向こうから走ってきた暴走車(笑)が派手に横転。土屋、思わずかけていたレイバン・ウェイファーラーをはずす(笑)
乗員救護のため駆け寄る主人公と土屋。「京平、救急車!」「はい!」
主人公は土屋のGTR搭載の自動車電話(本作は1991年制作の映画)で救急車を呼ぼうとする。おお、土屋のGTRには確かにトランクリッドに自動車電話用のTLアンテナが立ってるううぅぅ!!
だがしかし、自動車電話の液晶表示画面には無慈悲にアンテナマークが一本も立っておらず「圏外」表示(本作は1991年制作の映画ですってば)、主人公は「つながんない!」と悲痛に叫ぶ。すると「俺が行くぅ!けが人頼んだぞ!」と土屋が叫び、自分のではなく、なぜか主人公のGTRで下の町までドリフトしながら峠を降りて救援を呼びに行くシーンがか、カッコわ……、いいいい(笑)なにしろ合法的なドリフトだからな。でも真似しちゃダメ(笑)
まあ、こういう時のために当時の走り屋はみんな資格不要のパーソナル無線を車に搭載しており、自動車電話より役に立ったようである。
しかし、無線機は人命救助のために使用する事がもっぱらと言うよりは、警察の取り締まりを回避するための情報共有手段だったようだ。また当時の自動車電話はまさにステータスシンボルであり、当時のそこらのお兄ちゃんには、保証金もさることながら信用の問題で買えるようなものではなかったというぞ。
シリーズ4では主人公の弟が難病で死期が迫っていた。
そして「土屋圭一と一緒にレースしてるお兄ちゃんが見たい。GTRで」みたいなことを兄貴に言うわけ。兄貴は土屋に頼み込むが、土屋はツッケンドンに断る。しかし、最終的に土屋はGTRで。なお、主人公は自分のシルビアとオヤジの車を勝手に売っ払ってそのカネで真っ赤なGTRを買う暴挙に出たため、オヤジにひっぱたかれるシーンが本作の最大の見所だ。
なお、最終作「首都高速トライアルMAX」は違法走行シーンがあり、警察に摘発されて国内発売は中止された。えっ、じゃあ、これまでの作品にはなかったの?って話だが(笑)