初稿 2006年 01月17日
最高裁で宮崎勤被告に死刑判決が出ました。宮崎勤被告が逮捕(別件で)されたのが89年7月23日。その3ヶ月前、1989年4月に札幌丘珠空港から女満別空港へ向けて飛び立ち、その後消息を絶った3人乗りのパイパー機がいました。
結局、3年後の1992年に富良野市の山中で崖に衝突した状態のパイパー機が営林署署員に発見されましたが、3年間も誰にも発見されずに富良野の山のなかに飛行機と遺体が……という、かなり奇異な出来事でした。
そして、宮崎被告逮捕と同じ7月に日本事件史上でも、もっとも奇妙な事件が起きています。
北海道上川管内美瑛町の湿原で”SOS”の救助標が見つかった「大雪山SOS事件」とは
以下、参考サイト
・大雪山SOS事件
・1989年発生、北海道パイパー機行方不明に関する報告書
http://www.eonet.ne.jp/~accident/890406.html
SOS、助けてくれー。
崖の上で身動きとれずーっ!
ここから釣り上げてくれーっ。
場所はー最初にヘリにあったところーっ
こんな声が89年当時のテレビから何度も聞こえてきました。宮崎被告が逮捕されるまで、ワイドショーではこの話題が連日のように続いたのです。
これが当時の報道です。
この事件が近年、ネット上のフォーラムで語られる際には「助けてくれ」という声と同時収録されていた少女向けアニメのテーマ曲が必ず話題となりますが「ここから吊り上げてくれー!」という男性の必死の叫び声と相反するアニメのスローテンポな曲がトラウマになっている人も多いのではないでしょうか?
そうです、当初この「SOSテープ」の音声の主は前述のパイパーの乗員のものであるという可能性が(ほんの少しだけ)言われていたのです。
しかし実はこの音声の主は89年よりもっともっと以前、
1984年に入山したときから行方不明になっていたことが、後の警察の捜査で判明しました。
全然、関係ないですけど「自衛隊機乗り逃げ事件」という事件もありました。1973年の6月23日午後九時ごろ、陸上自衛隊航空学校宇都宮分校の整備員の3曹が富士重工LM-1連絡機を「乗り逃げ」してそのまま行方不明になった事件です。茨城沖の太平洋に沈んだと見られていますがこちらの機体は一片の残骸も発見されていません。
さて、SOSが発見されたあと、札幌のあるテレビ局が大雪山の現場にはいって取材したところ、祠(ほこら)から遭難者の免許証などが発見されました。また、テープの声は男なのに倒木で作られたSOS救助標付近に散乱していた人間の骨は女性の骨の可能性が大きいと鑑定され波紋を呼びました。
この時点で情報が錯綜します。複数の奇怪な要素が複雑に絡みあったこの事件は何か大掛かりな陰謀めいたものを感じさせます。
89年、これら奇妙な事件の続発は同年1月7日の昭和天皇崩御もあいまって世間では得体の知れないオカルト騒ぎが起きていたのです。
結局この「SOS事件」もいつのまにかテレビ、週刊誌から話題は消えていき、うやむやになりました。そして事件から数年後、警察が骨を愛知の会社員と断定したとマスコミが報じましたが、もう世間はSOS事件を覚えていませんでした。
冬の北海道の雪原で息絶えた青年はいつのまにか世間から忘れられていったのです。白い世界で一人(あるいはもう一人存在したかもしれないとされる女性とともに)助けを求めた彼は、北海道の雪原で最後に何を見たのでしょうか。
今、残るのは当時の新聞記事を紹介する僅かなウェブサイトだけです。
しかし北国の深い雪に眠る少し奇妙で神秘的な記憶は今でも人々をひきつけてやみません。