すごすぎる経歴の漫画家たち

なんなんだこの人たちは……

漫画家と呼ばれる人たちも、実は二足の草鞋を履いていたり、漫画家になる前に何度も転職したりと、すごい経歴を持っている方がいる。

そのような特殊な人生を歩んだ方々をご紹介する。

青木雄二

ナニワの作品で知られる故・青木雄二さんは44歳で漫画家デビューしたという所謂、大器晩成の方。漫画家になるまでは実にいろいろな職業に就いた経歴があり、鉄道会社、役場の公務員、パチンコ屋の従業員、キャバレーなど水商売もしたそう。青木さんは70年に漫画で入選しますが、何処の出版社からも連載の声がかからなく、仕方ないのでその入選作を持ってデザイン会社に行って就職したそうです。

板垣恵介

陸上自衛隊に5年間所属していたという、武闘派の元自衛官の漫画家です。空挺団員のほぼ全員が、レンジャー有資格者であり自衛隊最強の落下傘部隊と呼ばれています。もちろん、自衛隊時代を描いた漫画も執筆されています。

たなかてつお

こちらも自衛隊出身の漫画家です。たなかさんは航空自衛隊の航空学生という航空自衛隊の戦闘機パイロットを養成するための超難関試験で18歳から21歳までの高校卒以上を対象にしたコース出身。航空学生採用試験では筆記試験だけでなく、前席の教官の指示の下で航空機を実際に操縦する実技試験まであるといいます。毎年、全国の有名私立高校から、サマーウォーズみたいなアスペが何千人も受験し、合格する適格者は一握り。こんな試験を経て航空学生として採用されたのが北海道八雲町出身の、たなかてつおさん。同氏はその後、パイロットの資格を取って民間航空で活躍したり、大型の運転手などを経て漫画家になったそう。

田中圭一

ドクター秩父山で知られる田中氏。こんな下品な漫画を描きながらタカラの正社員だったというから驚きだが、田中氏のもう一つの才能は、手塚治虫の絵柄を完璧なまでに習熟しコピーできることだ。もちろん、私たちが手塚作品をそっくりコピーして佐野研二郎すれば、即座に告訴されハイスコアガールよろしく書類送検されるが、田中氏は手塚プロダクション公認。タカラを退社後、ウェブテクノロジに転職、取締役企画営業グループ部長としてゲームソフト開発ツールの販売責任者となっている。才能の無駄遣いというか、その漫画の下品な風格からは全く想像ができないのがすごい。